塗師のおはなし
うさぎ!を完読する前に図書館で借りてしまい、結局こっちを先に読み進めてしまいました。
- 作者: 赤木明登
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2006/06
- メディア: 単行本
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はじめて、この方の器を見た時の衝撃は今でも忘れられません。
それまで、輪島塗は「ハレ」の道具であり、伝統工芸のなかでもかなり「自由のきかない」イメージがありました*1。
わたしのなかで、道具というものは使うにつれて傷が付き、汚れていくことで完成されてゆくもの。というずいぶん自分勝手な概念を持ち合わせいることもあり、輪島塗のつるつるぴかぴかのあつらえや華美な装飾は、使う前から完成されすぎていて、私の入り込む余地がないように思えたのです(漆器自体あつかいづらいし)。
けれど彼の器には、毎日毎日たくさん使ってね。と言っているような懐の広さを感じました。なんと言えばいいのだろう、さわると壊れてしまいそうなくらい繊細な作りをしているのに、どっしりと大地を踏みしめているような力強さを漂わせているというか(表現へただなあ)。とにかく褻(け)の日に使いたい!と思った輪島塗は、彼の器がはじめてだったのです*2。
彼が弟子入りしたのが27歳という職人としては遅いスタートであったこと、輪島とはまったく縁のないいわゆる「よそもの」であることは前々から知っていたので、その彼があの器にたどり着くまでにどのような道を歩んだのか、そして輪島の外と内を知る人間から見る漆器のせかいとはどんなものなのか、興味深く読むことができました。
『職人』と『作家』の、お互いが決して踏み入ることのできない領域。憧憬と孤独。
そして『自己表現』と『個人が見える』ことの違い。
作る人間も使う人間も、いろんな魂をいただいて生きていることをもっともっと知るべきなんだよな。私も含め。
「漆 塗師物語」、ドイツ人学芸員のエルマー氏と赤木氏の会話より引用
「これは、わたしの場合ですが、自分のようなつまらないものを表現しても、誰も喜ばないと思います。自分なんかを表現したいとも思いません。赤木さんは、いったい何を表現したいんですか?表現するような素晴らしい自分があるのですか?」
「いえ、それは僕が輪島にくる前のはなしです。今は、そんなこと考えてません」
思わず、うう、と唸ってしまった。そしてなぜだか「百万円と苦虫女」の主人公、鈴子ちゃんのラストシーンを思い浮かべてしまった。